カムリの歌
カムリ語で書かれた民謡や歌謡曲などの歌詞を紹介しています。
Hen Wlad Fy Nhadau 「わが祖父たちの国」
カムリの国歌。1856年1月、カムリ南部のポンタプリッズ(Pomtypridd)にて、エヴァンズ・エヴァンズとジェームズ・エヴァンス親子によって「フロンザ川の岸」の名で作詞作曲された。この歌がフロンザ川渓谷の地域で親しまれ、やがてアイステズヴォッドでも歌われるようになり、その後カムリの人々の愛国心を美しく表現した歌として受容され、「わが父祖たちの国」と名を改める。現在、一般の同意によって認められた国家として、アイステズヴォドやラグビー、サッカーの試合の前など様々な場面で声高らかに合唱で歌われる。
(歌:OSAKA MEN'S CHORUS(canwyd gan Côr Meibion Osaka/Sung by Osaka Men's Chorus)
Tra Bo Dau 二人でいる限り
二度と会えなくなってしまった若い娘を思いながら、愛の本質について語る歌である。
Myfanwy 愛しのマヴァヌイ
一説によれば、カムリ北部サンゴセン(Llangollen)の領主の娘マヴァヌイに対する森の詩人ハウエルの求愛の物語である。ハウエルは彼女の前でハープを奏で、その心を射止めようとするも、別の男が現れ、彼の夢は儚く崩れるのである。
Bugeilio'r Gwenith Gwyn「白い麦畑の番をして」
良家の娘と、屋根葺き職人の若者が恋に落ちるも、娘の両親が身分不相応の恋仲を許さず二人を会えなくしてしまった。その後娘は両親の見つけた良家の息子に嫁ぐこととなる。若者が別の男に愛する恋人を奪われる自分を、「麦畑で自分の育てた麦を誰かに刈り取られていく」間抜けな少年と例えて歌っている。
Tros y Garreg 「岩山を越えて」
田舎から恐らく遠くに出稼ぎに出ている若い男(または女?)が夏になると故郷のメイリオニッズ州(中西部カムリの古い州)の故郷に戻り、愛する母の元に帰ることができる喜びを歌う。
Llwyn Onn 「逢引きの森」
その昔、「逢引きの森」と呼ばれる国があった。その領主の後継者と目されていた一人娘が、とある若者と恋仲になる。領主が娘とは身分不相応のその若者を殺そうと弓を引くが、矢はそれて娘の胸に突き刺さる。娘は最期に「逢引きの森」の宮廷の虚栄に埋もれて生きるくらいなら、わが恋人の矢に射られて死ぬ方がよい」と言い残し、息絶える。
Tangnefeddwyr 「平和をもたらす人々」
Tangnefeddwyr 「平和をもたらす人々」
20世紀カムリ語詩人ワルドー・ウィリアムスによる詩。第二次世界大戦中、ドイツ軍の爆撃を受け燃え盛るアベルタウェ(スォンジー)の町を見ながら、兄弟愛を教えた父と母のことを回想する詩である。
Hen Wraig Fach 「おばあちゃんの歌」
家畜の世話をするおばあちゃんの牝牛とのおかしなやり取りをお話しにした童謡。